企業のオウンドメディアの先駆けとして2010年当時かなり話題になったブログ『ソーシャルメディアのハンパない状況』。著者である金城辰一郎さんはその後、フリーランスのマーケター、スタートアップ企業BASEでの活躍を経て、現在は生まれ故郷の沖縄に戻ってデジタルマーケティングエージェンシーを立ち上げたといいます。
個人事業主や起業家には、生まれ育った故郷や地方都市への移住を望む人も少なからずいると思いますが、「東京ほど仕事があるのか」とか、「なんの人脈もなしにムラ社会に入っていけるか」など、いろいろと不安に思っていることもあるでしょう。
そこで今回は、金城さんとは旧知の仲である私、SoloPro編集長の松田然が彼のいる沖縄へと飛び、「地方発の仕事の作り方」をテーマに話を聞いてきました。前編となる本記事では、金城さんが「okinawa.io」設立に到るまでの歩みをご紹介。金城さんはなぜ、順風満帆だった東京での生活を捨て、生まれ故郷での起業という道を選んだのでしょうか?
金城辰一郎:
WEBマーケティングを専門領域とし、フリーランスとしてNHKなどを相手にソーシャルメディア運用、コンテンツ企画、イベント等のサポートを行い、名を上げる。2013年に立ち上げ間もないBASEに入社。マーケターとしてオンライン/オフラインを問わずさまざまな施策を打ち、会社の成長に貢献した。2016年に独立し、生まれ故郷の沖縄にデジタルマーケティングエージェンシー「オキナワアイオー」を設立。県内企業のマーケティング活動をサポートする傍ら、10月に初の著書「チャットボット AIとロボットの進化が変革する未来」をソーテック社より出版。
Contents
ワクワクに任せて挑戦したものの、失敗に終わった1回目の独立
そのブログを通じて起業家の方や発信力のある方にお会いしたり、世界中のイケてるWebサービスや企業を調べて情報を発信したりしていた時は、僕自身が感じているワクワクを伝えたくてしょうがない状態だったんです。でも、そうやって毎日たくさんの刺激を受けていたら、次第に自分でも何かに挑戦したくなって。自分もあの熱狂の中に入れるプロダクトを何でもいいから作りたいという思いが先行して、フリーランスになったんです。
僕自身も生活するためには日銭を稼ぐ受託案件も行う必要があり、そちらが忙しくなってきて、なかなか時間を割くことができなくなっていきました。事業を0→1で立ち上げるのは大変だなぁと感じましたね。
結局、今になって思えばスタートアップ界隈のワクワクを経験したいという想いだけが強く、挑戦する覚悟が足りてなかったのかもしれません。
急成長する組織の中で得た自由と、失われていく熱狂への焦り
BASEでは最初期の社員として入社しビジネス開発からマーケティング、新機能開発のディレクション、企業とのアライアンス、キャンペーン企画、さらにはライターとしても活動させてもらっていたので、本当になんでも経験でき、毎日アドレナリンが出まくりでした。
さらに誤解を恐れずに言えば、比較的マネジメント化された組織の中で、決められた役割で成果を出すべくチームで動いていると自分の中から熱が失われてしまうことへの焦燥みたいなのがあったんです。だから、もう一度フットワーク軽く、0→1でクレイジーな挑戦をしたいと思い、独立に踏み切りました。
僕自身のスキルや経験だと、そうなれるのはまだ先の話かなとも思ってたんですけど、どこに行ってもネット環境が整っている今、ひょっとしてまずはあえて地元の沖縄を拠点にすれば、それに近いことができるのでは、と。
それこそ、地方でありつつ観光客の多い沖縄では僕のマーケティングのノウハウを必要としているところがあるかもしれませんし、ここで実績を積んで、東京や海外から呼ばれるのも面白いなと思って。沖縄から逆上陸する戦略を思い描いたんです。
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