こんにちは。フリーランスのライター・編集者として活動しているえいた(佐藤英太)です。
ぼくの生まれ故郷、新潟県新潟市北区(旧豊栄市)に東京からUターンされたジュエリー職人、樋口奈津子(ひぐちなつこ)さんに、インタビューをしてきました!
お客さんや周りの職人たちからも愛されている、その姿勢とは何なのかも聞いてきましたよ。
〜樋口奈津子 ジュエリー職人〜
1992年に文化女子大学短期大学部を卒業し、千葉県市川市の工房にて6年間、東京都御徒町の工房で19年間ジュエリーづくりを学ぶ。その間「ものづくり」をテーマとしたショップ・アトリエ、飲食施設、ギャラリーが集合するスポット2k540 AKI-OKA ARTISANにお店をOpen。 2016年8月より生まれ故郷の新潟県旧豊栄市へUターンしジュエリー工房の「hinata bocco」を開業。親しみやすい人柄と25年間培った技術は、お客さんや周りの職人たちからも愛されている。 |
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実は、ものづくりが得意なタイプではなかった
東京から新潟へUターン。お客さんのために開業を決意する
今までついてくれたお客様さまが何かあった時……どこに持っていけばいいか悩むだろう、とかいろいろ想像してとにかく裏切れなくて。
周りの職人さんたちに言ったら「いい話じゃない」ってなって、じゃあやってみようという感じです。
ジュエリーを使う人を思う。手間は惜しまない
けど日本人の職人さんはその手間をなかなかお金に変えないんですよね。あとはやっぱり重いより軽いほうが使いやすいので。ペラペラにつくるとは別なんです。
ピンチを救ってくれたのは、東京の仲間たち
だから店づくりを頑張れと背中を押してもらえました。みんなやっぱり、商品つくる大変さを痛いほどよくわかっているので。
一人だったからやらなきゃいけないことが、いっぱいありすぎて。ほかのことも、数字のことだったり、お店のことだったり、こうやって什器(じゅうき)をそろえたりとか。
そこへ足を運ぶうちに自然と交流が生まれるようになっていましたね。
実はそんな面も助けてもらってます。例えば必要なものを全部まとめて買って送ってくれるとか、そういうことを今でもしてくれたり。
みんな勝手がわかってるから、「じゃああそこの何々ね」とかっていうところで、いろいろと助けてもらってるというか。
豊栄へUターンをして、生活リズムが大きく変化
でもこっちは逆ですね。朝早く起きて、夜早く寝るみたいな感じで。朝日とともに、何かこう人間らしい、ああ、風の音がするとか、空が今日もきれいだなとか、鳥がいるとか。
仕事内容はあまり変化していませんが、そういう意味では大きく変わりました。
こっちに来たら、もう常に太陽光じゃないですか。
本当はお向かいのレストランのオーナーに名付けてもらおうと思ったんです。ノラ・クチーナとかオラ・ハラクチェって名前なんですけど、全部彼が考えて、いいネーミングだなと思ってたから。
「どう思う?」って言ったら「いいと思う」って言ってくれました。
求める声に救われる
あとは姉が背中を押してくれました。私があまりにも不安がっているから、「じゃあ私が決めてやる、行けー」とか言われて。
東京には今までのお客さんがいても、ここではまだ誰にも求められていないじゃないですか。多分そういう不安もあったんだと思いますね。
不安がピークで東京にいったときに、お向かいのオーナーが2kに社員さんを二人つれてきてくれたんですよ。
東京へ研修に来てたらしく、帰りがけに寄ってくれたんですよ。
その一言で求める声があると知ってすごく安心しました。
速さも技術。考えるか否かで結果は大きく変わる
2010年の12月までは接客なんかもしたことないし、自分の技術の向上しか考えてなかった。
0.1ミリ狂ったらもう組めない精度のものとか、ちょっと焦げたら駄目とか。それで100個とかボツにしたら、売り上げも減るし、怒られるし。やっぱりどの世界でも、量をまずこなすっていうのはあるんですね。
不思議と続いてるジュエリーづくり
丁寧な仕事と愛されるキャラクターで、東京にたくさんのファンがいるひぐちさん。お話を伺っていてぼくもファンになってしまいました。
つながりを大切にするというよりも、目の前の一つひとつに丁寧に向き合うことが結果として素敵なつながりを生むのだと思いました。
駆け出しフリーランサーとしては「速さも技術」という言葉に、自分の課題が見えてきそうなインタビューでした。
速さの仕組みを解明して、ソロのプロフェッショナル(ソロプロ)としてのレベルを上げていきたいです!
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