「会社に不満はなかった」手がけた商品はヒット続出!凄腕プロデューサー美崎栄一郎さんが、サラリーマンを辞めて独立した理由

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会社員時代、花王のプロジェクトリーダーとして、次々にヒット商品を世に送り出していた美崎栄一郎さん。さらにプライベートでは1年に10冊ビジネス書を出版したり、社外の社会人向けに毎月150人以上の会社員を集めて勉強会を開催。そんなスーパーサラリーマンだった美崎さんが、会社を辞めて独立した本当の理由とは!? インタビュー前編では、会社員時代から現在までの道のりをご紹介します。

◎美崎栄一郎
1971年、横浜で生まれ大阪で育つ。大阪府立大学大学院工学研究科を卒業後、花王株式会社で約15年勤務し、アタックやニュービーズなどの日用品からレイシャスなどの化粧品まで幅広く携わり、数々のヒット商品を生み出す。現在は独立し、全国各地で商品開発コンサルタント、ビジネス書作家、講演家として活動中。
公式HP:http://note272.net
公式facebook:https://www.facebook.com/misakieiichiro
facebook:https://www.facebook.com/a16misaki
twitter:https://twitter.com/a16misaki
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新卒で花王に入った理由は、理系の人が社長になれる会社だから

― 美崎さんは花王で会社員として15年勤務されたとのことですが、そもそも花王に入社した理由は何ですか?
 
僕は理系出身なので、理系の人が社長になっている会社を探したんです。社長になっているってことは、会社の中で自分のキャリアを活かせるということ。どうせ働くなら、偉くなった方が色々面白いことができるんじゃないかなと思って探したら、花王の社長は理系出身だったので入社しました。そうやってゴールを決めて、逆算して考えるところは昔からですね。

入社早々、様々な商品開発に携わる

会社に入ってからは、先輩とチームになって商品開発をしました。それがのちに商品化されヒットして、その働きぶりを見てくれた責任者が組織編成をし、2年目からチームリーダーに昇格しました。でも急に年上の先輩の部下がついたりして、当時は「マネージメントなんてしたことがないし、なぜ自分ばかりこんなに気を遣って働かなくちゃいけないんだ」と思いました。でも、今振り返れば、それもいい経験でしたね。

3年目には化粧品のプロジェクトにジョイン。アメリカやヨーロッパに比べて、日本や韓国、中国などアジアは美肌信仰があるため、ファンデーションのニーズが強いんです。だから売り上げ規模の大きいファンデーションをやらせてくれと立候補しました。そうやってレイシャスという化粧品ブランドのファンデーションチームに勝手に加わり、生産技術を向上させるため工場に行っては「こうした方がいい」など若造なのに色々口出ししていました(笑)。最終的にレイシャスは100億円の売上を上げるブランドに成長し、工場長賞などいくつか社内で賞をいただきました。

大学受験の失敗がバネに

― 入社して早々の活躍がすごいですね!なぜこんなに早く結果を出すことができたのですか?
 
実は大学受験に失敗してしまったことにさかのぼります。受験で負けたなら、仕事で結果を出して勝とうと思い、学生時代に色々な企業で働きました。当時、学生なのに結構働いていたので、会社に入って年収が半分になってしまうほどでした(笑)。その時に、納期を守るためにどうしたらいいか考えて動いていたのが、会社に入って役にたったのかもしれません。

チャンスのもらい方をコントロールして、やりたい仕事の経験を積む

また、新人の頃は色々な雑用を頼まれることが多かったんです。はじめの頃は全ての仕事をすぐに返していたんですが、そうするとまたすぐ次の仕事が降ってくる。

次第に、チャンスのもらい方をコントロールすればいいんだと気づいて、やりたい仕事はすぐに返すけれど、やりたくない仕事はギリギリで返すということをしました。すると、やりたい仕事のチャンスが増えて、経験をたくさん積むことができ、それが実績となり、またチャンスがやってくるという好循環を作ることができました。

会社のいち社員としてではなく、自分の名前で勝負するために美崎さんがやったこと

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その後も色々なブランドを担当し、ヒット商品を出していったんですが、どんなに頑張っても自分の名前が世に出ないなぁと思い始めたんですよね。と同時に、子供のころ、自分の名前で本を書きたかったことを思い出しました。

そのあとは得意の逆算です。本を出している人はどうやって出しているか調べていったところ、様々なパターンがあることに気づきました。じゃあ僕の場合、どのパターンが出版に近いか考えた結果、ある出版プロデューサーがやっていた、編集者をたくさん呼んで彼らの前でプレゼンするというパターンなら真似できるんじゃないかと考えました。当時私はプライベートで、山の手の会という山手線全駅で勉強会をするというイベントをおこなっていました。全部で29駅あるので29回開催したのですが、その最終回で編集者をたくさん呼んで講演しようと考えたんです。

そこで100人の参加者と10人以上の編集者を呼んで、彼らの前で29駅分の勉強会のダイジェストから始まり、花王での商品開発についてなど合計3時間話しました(笑)。その結果「こんなにたくさんの人の前で、3時間話すこのサラリーマンは何者だ!? 」と思ってくれたみたいで、本の執筆依頼をいただき、初の著書「結果を出す人はノートに何を書いているのか」を出版することができました。

会社に不満はなかった。でも、何か違うことをしなければと思った

幸いにも初の著書がベストセラーになったため、その後も色々な出版社から執筆依頼をいただくようになりました。

そんな中で、ある編集者から「美崎さんがこれまでの人生の中で、辛かったことをどう乗り越えてきたかを本に書いてください。」と、ご依頼いただいたんです。でも僕は、朝早く起きて、会社に出社する前の2〜3時間を使って本を書くという執筆スタイル。朝、辛いことを思い出して会社に行きたくなかったので断ったんです(笑)。そしたら口述筆記を提案されました。口述筆記とはライターさんにインタビューをしてもらって、それを彼らに書いてもらうという執筆手法。数々のヒット作を手がけているという優秀なライターさんを出版社の方でつけてくれるというので、辛いことを思い出して泣きながらインタビューにこたえ、本を作っていきました。

その時に、学生時代から当時までの出来事をすべて振り返り、子供の時にやりたかった『モノづくり』も『出版』もどちらも叶っていることに気づきました。さらにその本が出版された日が、東日本大震災の当日。もしかしたら自分も地震で死んでいたかもしれないと考えたら、今までとは違うことをしないといけないと思ったんです。それで会社を辞めることに決めました。

会社に不満はありませんでしたし、むしろ楽しく働いていました。だから周りも驚き、ありがたいことに会社を辞めるなと引き止められましたが、その時「何か違うことをしなければ」って強く思ったんですよね。でも、その「何か」は全く決めずに辞めてしまいました(笑)。

退職後は、1年かけて全国一周の旅へ

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退職してからは、サッカー選手の中田英寿さんが世界を1年かけて旅していたのに憧れていたので、私も旅に出ようと思いました。ただ中田選手と違うのは、全世界をまわるお金がながったので、日本国内をまわる事にしました。

そして、1年間旅した後、どこかの会社でも入ろうかなと思っていたのですが、ある尊敬する経営者に「無理だよ」って言われたんです。その人曰く「1年間プラプラしていたらもう会社員に戻れないし、自分の名前でビジネス書を出しているような人が部下に入ってきたら、上司もやりずらいでしょ」とのこと。じゃあどうすればいいか尋ねたところ、商品開発のコンサルをするようにすすめられました。

そして次の日に行われた飲み会で、昨晩の話を友人に話したら「じゃあうちでコンサルしてよ」と提案していただき、初仕事がすぐに決まりました(笑)。

うまくいっている人の知恵を使えば、もっと楽にできる

― 急展開すぎてビックリですね(笑)! でも、これまで会社員として働いていて、独立経験もない中、不安はなかったのですか?
 
最初はコンサルっていう仕事が成り立つこと自体を知らなかった。でも、僕は「こうすればいいよ」って教えてくれる人が周りにいたからできた。やり方を知らないからできないだけで、やり方さえ知っていたらできるんです。

本の出版だってそう。最初本を出したいと思っていたけれど、そう思ってから実際に出すまで3年かかった。すぐにできなかったのは、出版の仕方を知らなかったから。でも、やり方さえ知っていたら、もっと早く出版できたと思う。そうやって物事ってうまくやっている人の知恵を使えば、もっと楽にできる。だから僕は、普段本を読んだり映画を見たりして、彼らの知恵を学んでいるんです。

目からウロコの販促ツールで、クライアントが次第に増えていった

― その後はどのようにクライアントを増やしていったんですか?
 
コンサルをやろうと思ったら、まず未来のクライアントに僕がやっていることを知ってもらう必要がある。でも、コンサルには守秘義務があるから、他のクライアントの事例は伝えられないんです。

だから僕は第三者のライターに依頼し、クライアントにインタビューしてもらい、彼らが話した事例をリーフレットにまとめて配っていたんです。僕は取材には立ち会っていませんし、クライアント自らが話した内容なので、僕は守秘義務を守っていることになる。そうやって事例集を作り、それを見た方々からお問い合わせをいただくようになり、次第にクライアントが増えていきました。

東京一極集中はおかしい。全国各地に小さい東京を

また、会社を退職した後の1年間に全国各地を旅したことにより、東京に一極集中している今の日本のあり方は間違っているんじゃないかと思うようになりました。どこの街にいっても、同じチェーン店があって、そのチェーン店はたいてい本社が東京にあるから、地方で消費されても東京にお金が吸い上げられていく。そして益々、地方が貧しくなり過疎化が進む。だから地方独自の商品を作って、地元でビジネスが周るようにしなければと思うようになりました。

そこで2015年に、戦国時代に関する商品を企画開発する会社、株式会社戦国を設立しました。なぜ戦国時代かというと、日本一周をして全国には100以上のお城があるのに、それらの商品がないことに気づいたから。だから現在は忍者とか刀剣グッズを色々作って販売しています(笑)

最終的には、日本全国、どこにいっても小さい東京があるような世の中を創っていきたい。だから、これからは戦国グッズだけでなく、地方が活性化し地元だけでビジネスがまわる仕組みを作れるような会社や商品を、全国各地で作っていきたいなと思っています。

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会社には全く不満がない時に、今までとは違うことをしたいと思い独立を決意した美崎さん。独立してからも、このようにいろいろな事業を手がけています。
そこで、インタビュー後編では、数々のヒット商品を生み出し、ビジネス書作家としても活躍する美崎さんの、アイディアの出し方、ブランドの作り方、手帳術など、結果を出し続けるためのノウハウをあますことなく教えていただきました。

インタビュー後編はこちら

起業家やフリーランス必見!ヒットメーカー美崎栄一郎さんに学ぶ「結果を出す人」がしている仕事術

 

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ABOUTこの記事をかいた人

鮫川佳那子(さめこ)

【NY在住ライター/ニューヨーク女子部♡主催】 青山学院大学卒業後、サイバーエージェントに入社し広告制作・メディア編集に携わる。現在はニューヨークの新聞をはじめ様々な媒体でコラムの連載や、海外で活躍する日本人のインタビュー記事を執筆。またNY在住の20~30代女性が300名以上所属するコミュニティ「ニューヨーク女子部♡」を主催し、イベント企画運営も行っている。