3000人以上の成功者を取材した、凄腕ライターが明かす!独立してうまくいく人の共通点とは?【上阪 徹さん】

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「自分のやりたいことを仕事にしよう」と独立するも、フリーランスは会社員とは違い、毎月決まった額のお給料が入ってくるわけではありません。そのため、食べていくのでやっとという人、将来が不安で休みも取らず働き続け、疲弊してしまう人も少なくないと聞きます。

しかし一方で、経済的にも豊かに楽しく働く人も、たくさんいらっしゃいます。両者の違いは一体何なのかーー。

ということで今回は、20年以上フリーランスのライターとして活躍する上阪徹さんにインタビューを企画。今や会社員時代の何倍もの収入を得られるようになり、公私ともに充実した日々を過ごされている上阪さんですが、実は20代にどん底だった過去を持ち、その経験が今に活きていると言います。そこで、これまでどのような道のりでキャリアを築かれていったのかお話を伺いました。

そして最後には、3000人以上の成功者を取材してきた上阪さんが感じる、『独立してうまくいく人の共通点』についても教えていただきました。

上阪 徹
早稲田大学商学部卒業後、リクルート・グループを経て、1994年よりフリーランスのライターとして独立。経営、経済、就職などをテーマに、雑誌や書籍など幅広く執筆やインタビューを手がける。広範囲に及ぶ取材相手は、3000人を超える。また他の著書の本を取材して書き上げるブックライター作品は60冊以上、自身の著書も20冊以上。累計40万部のベストセラーとなった『プロ論。』などインタビュー集も多数。

公式HP:http://uesakatoru.com
Facebook:https://www.facebook.com/uesaka.toru

失業、時給850円のアルバイト生活…人生どん底だった20代

20代は、リクルート・グループでコピーライターをしていました。当時の私はとにかく自己顕示力が強くてギラギラしていて、広告の賞が取りたくて取りたくて仕方がなかった。そんな会社員でした。でも、どんなに努力しても、賞をかすめるくらいしかできませんでした。思うような実績も上げられない、思うような給料も得られない……自分はコピーライターには向いていないんだと諦めて転職したら、その会社がなんと3ヶ月で倒産し、失業してしまいました。28歳の時です。

地位も名誉も財産も、さらには職まで失って、人生どん底まで落ちました。住んでいたマンションのベランダで、ぼんやり空を眺めていたのを覚えています。貯金もほとんど底をつきかけ、いよいよ追い詰められたとき、一本の電話がかかってきました。リクルート時代にお世話になった人でした。大丈夫か、と問われて、大丈夫じゃないです、と答えたら、怒られました。まず、大事なのはお金。今すぐ丸井に行って、丸井のカードでお金を借りて会社まで来い、と。
お金がありませんでしたから、当時住んでいた目白から新宿の丸井まで歩いていって、丸井のカードで20万円を引き出しました。実は、これが後の独立資金になるんです。

当時リクルートは会社を辞めて半年間は、フリーランスとして独立できないという決まりがありました。でも、お金に困っているだろうから、と週払いのアルバイトを提案されました。時給850円です。ただ、さすがに以前所属していた広告の部署でアルバイトをするのは恥ずかしいだろうから、と計らってくださって、わざわざ別のフロアにある編集の部署を紹介してもらえたんです。仕事は、アンケートの袋詰めなどの雑用。自分より若いアシスタントの女の子に顎で使われる日々。ちょっと前まで、まがりなりにもクリエイターとして仕事をしていたわけですから、もうプライドはズタズタでした。でも、それが現実だったんですよね。真面目にクサらず働きました。

この時わかったのは、見ている人はしっかり見ている、ということです。フリーランスとして独立する際、もともと私は広告畑の人間だったんですが、雑用の仕事も手を抜かずに頑張ってくれていたから、と編集部門の編集長が声をかけてくださり。ここから、それまではやったことがなかった編集系の記事を書かせてもらえるようになったんです。フリーになって、仕事の中心は古巣の広告部門からがほとんどでしたが、このアルバイトの小さなご縁が、後にたくさんの雑誌やウェブ、さらには書籍の仕事に繋がっていくことになるんです。

自分のために働くことをやめたら、人生の大転換が起きた

悲惨な失業を経験していましたから、何より痛感したのは、お金を稼ぐということの大変さと大切さでした。だからこそ、独立して感じたのが、お仕事をいただけることの有り難さでした。そのまま、フリーになりたくてなっていたら、こうはなっていなかったと思います。結果的には、悲惨な経験がプラスになりました。
もう1つ、失業していた期間に、世の中に必要とされていないことが、いかに辛いかということも実感していました。それも併せて、仕事をいただけることが嬉しくて嬉しくてしょうがなかった。だから、とにかく1つ1つの仕事を大切にしよう、一生懸命やろうと思うようになりました。
自分のために働くのではなく、仕事をくださった方、その向こうにいるクライアントや読者のために働こう、と。そうしたら、人生の大転換が起こったんです。

面白いもので、ギラギラをやめて、誰かのために働こうと思っただけで、欲しくてたまらなかったいろんな賞を、次々といただくようになりました。考えてみたら当然だったのかもしれません。自分のためだけに働いている人間は、まわりから見ればすぐにわかるわけです。よこしまな心は見抜かれるんですね。逆に、誰かのために働いている人間もすぐにわかる。
仕事もどんどん舞い込むようになりました。20代の頃には考えられないぐらい、30代になって人生が驚くほどうまく回り始めたんです。収入もどんどん上がっていきました。フリーランス数年で年収は1500万円、2000万円と上がっていって、5000万円近くになることもありました。会社員時代の何倍もの収入を得ることができるようになっていったんです。
一連の経験を通して、とにかく学んだのは、「人のために働けば、必ず自分に返ってくる」ということでした。

選り好みせず仕事をしていったら、面白い未来が待っていた

そういうフリーランスのスタートでしたので、いただける仕事は基本的に何でも引き受けていました。もともと人材採用広告の出身でしたが、結婚情報誌「ゼクシィ」など、女性のコピーライターのほうが向いているんじゃないか、と思える仕事も声がかかれば引き受けました。でも、これが不思議なもので、その仕事をお声がけくださった方がその後、独立情報誌「アントレ」の編集部に異動になったりするわけです。「今度は上阪さんが得意なジャンルの仕事だと思いますよ」とまたお声がけくださって。ここでたくさんの起業家にインタビューさせてもらったり、編集企画に携わったりすることができて、書くキャリアの大きな転機となる仕事になりました。こんな仕事に出会えたのも、「ゼクシィ」の仕事を「これは自分の仕事ではない」などと思わず、お受けしたから、だったんだと思います。

単価が大きくない仕事でも、クサったりすることなく、一生懸命やっていました。実は単価が大きくないことは、依頼主もわかっているんです。だから、申し訳なかった、と思われたのか、のちに単価が大きな仕事を出してくださったり、別の編集部の方を紹介してくださったりすることも少なくありませんでした。

実はこういうことって、いっぱいあるんですよ。私は基本的には、仕事を選り好みしませんでした。「ちょっとこの仕事は……」と思うような仕事でも、依頼いただけることに感謝して頑張ろうと思っていました。そうすると、それが新たな仕事につながっていったりするわけです。
経験上、「これはちょっと……」と思う仕事ほど、先入観を持たずに引き受けた方がいいような気がしますね。そういう仕事ほど実はチャンスが潜んでいる。
やりたい仕事だけやっていたら、やりたい仕事で終わってしまう。私はそう思っています。自分で仕事を選ばなかったおかげで、私は自分が想像もしなかったような、びっくりするような未来に連れていってもらえた。選ばないほうが、面白い未来が待ってたんですよ。

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『プロ論。』40万部の大ヒット!チャンスを掴むためには、目の前の仕事を一生懸命にやるだけ

シリーズ累計40万部のヒット作となったインタビュー集『プロ論。』が出版されたのは、2004年でした。これも私にとって想定外の出来事でした。

最初のきっかけは、失業時代のアルバイトにさかのぼります。同じフロアに就職情報誌の「B-ing」の編集部があって、編集長と話す機会があったんです。「記事の得意分野はある?」と聞かれて、「特定の得意分野はないですが、取材が好きです」と答えました。コピーライターとして採用広告を作っていましたが、クライアントの社長や人事部長のインタビューによく行っていたんですよね。それを覚えてくださっていた編集長から、フリーになって1年くらいして、ベンチャー企業の社長インタビューの企画を頼まれたんです。これが、とてもいい誌面になって。それがきっかけでインタビュー連載をもらうことができて、その後、『プロ論。』の連載につながっていったんです。

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『プロ論。』は、ビジネス、芸能、スポーツ界など様々なジャンルで活躍している著名人のインタビュー連載でした。彼らから、いい仕事をするためのヒント、さらには人生を生き抜くヒントや実体験を聞き、記事を書くのが私の仕事でした。

いろんな分野の超一流と言われる、そうそうたる方々にインタビューさせていただいて、何より驚いたのは、みなさん一人の人間としてとても素晴らしい方ばかりだったことです。どんなに実績がある方でも、偉ぶったりする人はいませんでした。腰が低く、謙虚で、一生懸命で、サービス精神旺盛な人が多かった。その印象が、とにかく鮮烈でしたね。ああ、成功している人たちって、みんなこうなんだ、と。これは、実際に会ってみないとわからないことだと思います。
そんな彼らから聞いた仕事哲学、人生を生き抜くヒントは、私自身、大きな学びになりました。普段は会えないような人たちなわけです。しかも1時間も時間をもらえる。それこそ、仕事を忘れて聞いていたことも少なくありません。そうやって聞き出した話でしたから、もう読者に伝えたくて仕方がないわけです

では、最も効果的に読者に伝えるには、どうすればいいか、考えました。普通に記事を書いても、取材で感じたインパクトは伝えられないと思いました。そこで私は、毎回記事を書く度、「この人の記事なら、どんな読者に一番読んでもらいたいか」をとことん考えました。笑福亭鶴瓶さんの話を聞いて喜びそうな人は、どんな人だろう。古舘伊知郎さんだったら、どんな人だろう……。それこそ、カルロス・ゴーン社長の話を喜ぶ人と、秋元康さんの話を喜ぶ人は違うわけです。だから毎回、ターゲットを具体的に思い浮かべて書いていました。
そうすると、やっぱり刺さる人にしっかり刺さるわけですね。リクルート社内からも「この連載は面白い!」と評価いただき、結果的に紙のメディアとして休刊になるまで、5年以上も続く人気連載になりました。

個人的に、これは絶対いい記事だという自負がありましたが、編集部でも評価してくださって、まとめて本にしてはどうか、と言っていただきました。リクルートのメディアでは、こうした連載をまとめるのは、かなり珍しいことでした。
そこで、すでに書籍の仕事でご一緒していた出版社の方に話したら、インタビュー集として刊行していただけることになりました。ただし、初版は少ないけどいいかな、と。実際、6000部からのスタートだったんです。これが刊行後、なんの宣伝もしていないのに、渋谷のブックファーストでいきなりランキング1位を獲得したりして。そこから一気に火がついて、25万部まで売れていきました。その後シリーズ化されて、累計40万部の大ヒットに繋がりました。
書籍の仕事はその後、多方面で増えていき、他の著書の本を取材して書き上げるブックライターの仕事もすでに60冊以上、私自身の著書も20冊以上になっています。

実は私は、いずれ本を書きたい、などということはまったく考えていなかったんです。その時その時にあった、目の前の仕事を一生懸命やってきた。そうしたら、思ってもみない本の仕事をいただけるようになった。それだけなんです。チャンスって思ってもみないところからやってくるんです。そういうチャンスを掴むためにも、私が心がけていたのは、常に目の前の仕事を精一杯やること。相手が期待していた以上のものを返していくこと。それだけでした。

仕事を得るために、工夫してきたこと

私は独立してから、いわゆる営業というものをしたことがありません。リピートやクチコミでお仕事をいただいてきました。ただ、仕事を得るために意識してきたことはあります。

私の今の仕事相手は、多くが編集者さんですが、彼らは日々、売り込まれる仕事なんですよね。いろんな人から、売り込まれてばかりなんです。だから、どうなるのかというと、自分で見つけたくなる。私はそう思っています。だから、見つけてもらうのがいいんです。
彼らが信頼している方に紹介していただくことも一つ。また、今はインターネットなどのツールがありますから、上手に利用するのもアリだと思います。例えばSNSで繋がって、「最近こんな仕事をしました」という投稿を積極的にする。そうすれば、見てくれる可能性もあるでしょう。SNSがない頃は、私はメールのフッターに、手がけている企画や連載、関わった本などの情報を記載し、さりげなく気づいてもらえる様にしていました。実際それがきっかけで、仕事が来たこともありました。

どうすれば本が出せますか、という問いもよく聞くんですが、もし編集者さんに書籍の企画を提案したかったら、ひとつアドバイスがあります。それは、自分の希望を言う前に、まずは相手の話を聞くことです。相手が何を求めているか分からないのに、適切な提案はできない。相手は過去にどんな本を作ってきたのか。これからどんな本を作りたいのか。相手のニーズこそ、徹底的に聞いた方がいい。そして聞いた後に、「あっ、こんなアイディアがあるんですが、いかがでしょうか?」と初めて企画を出すんです。

自分でやりたいからと、いきなり「こんな企画があるんですが」と、もしかするとその編集者さんにとっては見当違いのものを出されたら、困ってしまうでしょう。でも、いろいろニーズを聞かれ、本づくりに対して真剣な姿勢を理解してもらった後に、もしドンピシャな企画を、あるいは面白そうな企画を出されたら、誰だってちょっとは興味を持つと思います。評価するのは、あくまで編集者さん。ここでもやっぱり「相手のために役に立ちたい」というスタンスでいることは重要だと思います。

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独立してうまくいく人の共通点とは!?

フリーランスとして独立して20年以上経ちました。これまで大変なことも色々ありましたが、20代で失業して仕事がなかったあの頃に比べたら、大抵のことは何でもないと思っています。

あのときの凹みが大きいから、後の膨らみも大きくなったんだと今は思っています。もし20代のギラギラの時に絶好調で、コピーライターとして賞も取りまくってフリーになっていたりしたら、今の私は絶対にいないですね。一流のコピーライターだと勘違いし、鼻持ちならない奴になっていたでしょう。その呪縛から逃れられず、「こんな仕事受けられるか!」と仕事を選り好みしていたかもしれない。そうなったら、コピーライターという幅から広がっていなかったと思います。

私はこれまで3000人以上のトップランナーを取材してきましたが、ひとつ気づいたことがあります。それは、自分のために働いている人は少ない、ということです。ソフトバンクの孫正義さんも、ユニクロの柳井正さんも、自分のためにだけ働いていたなら、もうとっくに引退しているでしょう。アートディレクターや建築家などのクリエイターも、実はお客さまのニーズに応えることが、まず第一なんです。そういう姿勢で働いているから、多くの人が応援したくなるんだと思います。

働くとは、人の役に立つこと。そして、これこそが働く醍醐味なんですよね。それをわかっていないと、お金や権力の誘惑にとらわれてしまう。やがては、仕事が離れていってしまう。そんな可能性も高いと思います。自分のための仕事は、所詮、自分のための仕事に過ぎないんです。超一流の人たちは、そんなことはしないんです。
どうして自分に仕事が来ているか理解し、相手のため、世の中のために一生懸命働く。そして、より大きく役に立つために、自分のスキルを高めていく。そういう人が独立後も活躍し続けられるし、経済的にも豊かになっていくのだと思います。

【上阪さんの著書】

成功者3000人の言葉

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ABOUTこの記事をかいた人

鮫川佳那子(さめこ)

【NY在住ライター/ニューヨーク女子部♡主催】 青山学院大学卒業後、サイバーエージェントに入社し広告制作・メディア編集に携わる。現在はニューヨークの新聞をはじめ様々な媒体でコラムの連載や、海外で活躍する日本人のインタビュー記事を執筆。またNY在住の20~30代女性が300名以上所属するコミュニティ「ニューヨーク女子部♡」を主催し、イベント企画運営も行っている。